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『わかな十五歳』が北海道新聞で紹介されました

グレタ・トゥーンベリさんが学校ストライキを始めて、大人たちもそれを応援しているというニュースを見たとき、スウェーデンだから起きたこと、と思ったものです(北欧には「自分で考え、判断し、行動する」という教育思想がある)。

グレタさんは「自分たち若者の未来が盗まれた」と言っています。

わかなさんも、本の中でこう言っています。

「原発という重荷を私たち若者だけに押しつけないでください……」

さて先週、『わかな十五歳』を地元紙の北海道新聞にてご紹介いただきました(3月23日朝刊)。
ちなみに地方紙とは言え、発行部数約97万部、普及率4割と、北海道民の圧倒的支持を得ている新聞です。

朝、新聞を開いたら、文化面にどどーんと記事が出ていて正直、驚きました。(残念ながらデジタル版はありません)

冒頭に紹介した一文のように、この本は子どもの視点で観察した大人たちの姿を見たまま、遠慮なしに描いています。大きなメディアの中にいる人で、関心をもつ人に出会えるかどうか……という思いもじつは、ありました。

しかしこの記事では、たとえば次のような著者の言葉を用い、思春期の少女の目線に歩み寄って本書を読み解いていたように思います。

「正解がわからないとき、誰かに頼って生きてきた大人は声の大きい人に付くしかありません。子どもはそんな右往左往を黙って見ていた。そして大人への信頼を失ってしまった。それでも大人の顔を見て生きるしかない子どもがいっぱい生まれたことが、すごくしんどかった」(北海道新聞3月23日朝刊6面より)

「大人の事情は百も承知、でも、大人の事情か子どもの命かとなったときに命を選んでもらえないことは『自分なんてどうでもいい』というメッセージになった。子どもにとって、それはものすごい裏切りなんですよね」(同上)


大人の事情か子どもの命か……

原発などの災害だけでなく、学校も競争社会で、いざ働くとなれば長時間労働が待っていたり。「何か」と「命」を天秤にかける判断を迫られることは、誰にでも起こりうること。

記事は、わかなさんの次の言葉で締めくくられています。

「原発事故の物語というよりも、私たちはどう生きていくのか、ということを書いたと思っています。かなうなら、この本が学校図書室に入ってほしい。大人を信頼できない。生きていくのがつらい子の助けになればうれしいです」(同上)

この本が、自分の言葉を見つけるきっかけの一つになるといいなと思っています。(編集N)

参考文献)

『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』(ミツイパブリッシング, 2018)
http://a-ad.net/baitai/news/share.html
http://kk.hokkaido-np.co.jp/kokoku/
https://www.bbc.com/japanese/video-48048609

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