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私たちは生きていたいという思いさえ、少しずつはぎとられてきた〜オリンピックに抗議する 安積遊歩

 毎日暑い日が続く中、ミサイルは飛んでいないけど戦時中かと思う瞬間がしょっちゅうある。コロナで医療が逼迫、いや既に崩壊しているだろう。「廊下でもいいから入院させてください」と高熱の家族を連れて病院周りをした話や、オリンピックに反対していた人が、始まってしまえば熱心に見ていたり、などの話を読んだり聞いたり。そんな話ばかりなので、私たちは戦時中の大本営発表の報道の下ですっかりマインドコントロールされていたあの時と同じだと感じている。

 当時は徹底的な天皇制教育の下、「自分の命より大切なものがあるのだ。それが天皇のもとで歴史を作ってきた万世一系の日本なのだ。その日本を守るために、自分の生活や命は捨ておいて戦わなければならない」とマインドコントロールされた。しかし今は違う。万世一系という言葉さえ知らない人々がほとんどの中、あの当時よりさらに怖い気がするのは、命が最も大切であるという、生き物としての本能とも言うべき感性が失われてしまっていることだ。戦後から百年も経っていない今、私たちは生きていたいという思いさえ、少しずつはぎとられてきたようなのだ。

 命が本当に大事にされない世界。学びも仕事も遊びでさえも、この巨大な消費社会を維持するための道具として使われているのだ。ただ生きていたい、幸福でありたいという感性は、消費のシステムには乗らないものなので、まるで価値がないかのようにみなされている。

 スポーツのはじまりはもともと戦争の代替物だったという。勝つことが大事で、そのためには一部の人が犠牲になるのは仕方がないという社会には、穏やかな安心はあり得ないし、孤独な人々はさらにさらに追い詰められていく。

 私の家にはテレビがない。そのぶん、オリンピック報道にそれほど傷付けられてはいない。しかし今この瞬間でもコロナや様々な状況の中で、ただ生きのびるために闘っている人たちが、どんなに多くいることか。そのことを絶えず忘れず、この静かな戦争状態を少しでも早く終わらせるべく、仲間と共に立ち続けていく。

 

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