[Webマガジン]ダブリンつれづれ

  1. 「第3回 仕事(その2)」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

     前回(その1)はこちら 日本語を教えるということは、まず自分が生徒になって学ぶことだった。 日本語は省略がとても多い。特に二人の会話では、分かりきったこと、たとえば話し手の「私」と聞き手の「貴方」などは省略されて話が進んで行く。

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  2. 「第2回 仕事(その1)」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

    一九八九年一月七日、昭和天皇が崩御し昭和が終わった。六月、中国天安門事件のニュースを日本で見た私はその年の終わりに近い十一月に、ダブリンでベルリンの壁の崩壊のニュースを知った。天安門とベルリン、この二つの事件は、いずれも自由と民主化を求める画期的な出来事であった。

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  3. 「第1回 出国」ダブリンつれづれ / 津川エリコ

     一九八九年の夏、アイルランドへ行く為に旅行代理店から私が買ったのはパキスタン航空の切符だった。十八万九千円だったと記憶している。これが一番安かった。片道だからその半分だと思った。当分帰って来るつもりはなかったのだ。ところが代理店の人に往復も片道も同じ値段だと言われて随分がっかりした。

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