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4.182019
「第1回 なつかしい始まり」
ニュージーランドへ帰る
日本が冬の間、私の住むニュージーランドは夏。大学生の夏休みは長いので、毎年その間、日本に帰ってきている。そんなわけで一年中ほぼ冬の生活をして、はや四年がたとうとしている。
私は今、ニュージーランドの南島の南、ダニーデンのオタゴ大学で、ソーシャルワーカーになるべく学んでいる。今年の二月から大学四年生の新学期が始まった。
二カ月ぶりに帰ってきたニュージーランドを飛行機の上から眺めると、見渡す限りの緑が広がっていた。今回、日本に帰って驚いたことは、日本では、車で二時間くらい移動しても、グレーや茶色のマンションがひたすら建ち並んでいることだった。ニュージーランドに帰ってくると、空港から街に入るまでの道のりは、ずっと緑の農場がつづいている。そんなことで驚く自分に、自分が生まれ育った日本よりもニュージーランドに慣れてきていることを感じる。
飛行機の中で過ごす時間は、人といるのが大好きな私には珍しく、一人でいるのが心地いい時間だ。二つの違った場所を移動するその空白の時間は、飛び去った場所で過ごした時間を振り返りつつ、たどり着く場所で待っている生活への心の準備の時間なのだ。
一〇時間半あるフライトの中、今回は運良く隣に誰も座ってなかったので、背の低い私はまっすぐ横になることができた。そのおかげで、飛んでいる間ほぼ寝てしまった私は、オークランド空港に着陸した時は、心の準備があまりできていなかった。
オークランドは、首都ではないけれど、ニュージーランドの中で一番大きな、北島の北にある都市だ。
私の住むダニーデンは、オークランド空港からさらに飛行機で二時間ほど。乗り換え便を待っている間も、心の準備ができていなかったせいか、気持ちがそわそわして落ち着かなかった。ダニーデンへ向かう飛行機に乗っている間、強い頭痛がして、大学に戻るのが少し不安になってきた。でも、ダニーデンへ着いて飛行機から降りるとき、手伝ってくれた空港のスタッフさんが、「ウミ、今回はずいぶん帰るのが遅かったわね! よい夏休みだった?」と話しかけてきてくれた。
ダニーデンは人口一三万人の都市。ニュージーランドの中では六番目に大きいけれど、日本から比べると小さな街で、人と人との距離が近い。私は日本に帰ることや、ほかにも遠出することが多いので、空港のスタッフさん数人が顔をおぼえてくれている。声をかけてもらって、「ああ、帰ってきたな」という安堵をおぼえた。
ジョンとの出会い
私はいつも計画を立てずに動いてしまうのが癖だ。この時も飛行機に乗る直前にバスを予約したので、ちゃんと予約できたかどうか、不安があった。空港のスタッフの人に押されながら、シャトルバスの人が掲げるネームボードに自分の名前がないかきょろきょろしていたら、横から「おい!」という声が聞こえた。だれ? と思って顔をあげたら、なんと、叔父のように仲よくしてくれているジョンが、彼の元上司でもあるシャトルの運転手さんと共に、飛行場の出口で待ってくれていた。
搭乗前、「シャトルが予約できなかったかもしれない」とジョンにメッセンジャーで不安を漏らしてはいた。でも、迎えに来てくれるとは予想していなかったので、私は驚きとうれしさで、「なんでここにいるの?」と思わず尋ねた。すると「自分もたまたま来る予定だった」と言う返事。
どうして驚いたかと言うと、彼は、私の街から飛行機で一時間半もかかるところに住んでいるのだ。
ここで少し、彼との出会いをふりかえりたい。
私は車椅子を使って生活しているので、どこに行くにも、人の手が必要だ。ジョンと初めて会ったのは、これから大学一年生を始めようと引っ越してきた時で、同じ空港の出口だった。他のシャトルの運転手さんと一緒に、出口に立っていた人の一人だった。
ジョンの同僚が、私たちのシャトルの運転手だった。初対面の私の笑顔で、ジョンは私のことを気に入ってくれたそう。
私は大量の荷物と、自分が乗る車椅子のほかにもう一台、電動車椅子を持っていて、その大荷物をシャトルに積み込むことから、大仕事だった。自分の仕事でもないのに、その一部始終を助けてくれた彼は、同僚の運転手一人だけでは荷物をおろすのもたいへんだろうと、空港から街までも着いてきてくれた。
波乱の初日
ダニーデンの初日は、私がウェブで予約した安いバックパッカーズ(ユースホステルみたいなもの)に泊まる予定だった。ところが、到着したらそこは階段だらけのお宿。フロントの人は、車椅子だと事前に知らせて欲しかったと前置きして、「あなたたちを泊めることはできない」と言う。
以前、宿をとる時に車椅子であることを伝えたら、予約すらできなかった経験があった。今回も予約できなかったら困るのでその教訓を生かして、着いてから直接その場で交渉しようと思っていたのだ。そうした理由を説明して、どうしても泊まれないかと聞いたら、「一応裏口にアクセスがましな階段があるけれど、まずは他の宿を探してみて。どうしても見つからなかった場合だけ戻ってきていい」と言われた。
その様子を見守ってくれていたジョンが、シャトルの運転手に「彼女たちが泊まる宿を確保するのを見届けよう」と話し、その後一時間半ほど、町中にある宿という宿に、空きがないかを探す旅に同行してくれた。
ところが、大学が始まる間近だったので、学生とその家族でどの宿も満室。結局、私たちは、はじめの宿に戻ることになった。全く泊まるところがないと伝えると、予約していたこともあり、さすがに追い返すわけにはいかないと、私たちを泊めることを承諾してくれた。
最後まで付き合ってくれたジョンは、帰り際に、「また困ったことがあったら、いつでも連絡していいよ」と電話番号をくれた。
それから数日間、ジョンは仕事の合間をぬって、私と、私が落ち着くまで来てくれていた母と友人たちを連れて、よくドライブに連れていってくれた。でもジョンは、その二カ月後、娘たちが住むニュージーランドの首都、ウェリントンに引っ越してしまったのだった。
それからもジョンの家へ遊びに行ったり、緊急時の連絡先になってくれたり、今回も空港まで迎えに来てくれたりと、私はジョンにお世話になりっぱなしだ。
だから、彼との出会いは私にとって、大学生活のはじまりを象徴するようなものになっている。
マラエでの授業
さて空港に着いてすぐ、ジョンと彼の同僚は、私のことを授業まで送り届けてくれた。
はじめに計画性がないと書いたけれど、飛行機を予約する日を一日間違え、授業が始まる二月二五日の夕方にニュージーランドに到着した私は、初っ端から大切な授業の半分以上に出られないことになってしまった。
今年の大学の始まりは特別で、二泊三日の合宿で始まった。場所は、マラエと言って、ニュージーランドの先住民族であるマオリの人たちが、一族ごとにもっている特別な集会所。そこで、この土地で生きるということはどういうことかを学ぶ合宿だった。
マラエとは、マオリの人たちが結婚式やお葬式、誕生日会から一族の大切な話をするとき、自分を見つめ返す時間をとりたいときなど、どんなときもその一族の人たちが帰れる場所としてある、大切な建物だ。マラエの隣には、だいたいお墓と教会(教会はクリスチャン向け)がある。先祖たちの存在を感じ合える場所であり、パワースポットでもある。
私たちが泊まったマラエは、オタコウ・マラエと言って、南島一帯に住むナイ・タフ部族の中の、タイアロワ・カレタイ・コラコという族長たちによって場所が選ばれたマラエだ。
ジョンと彼の同僚は、空港からそのマラエに私を送ってくれたのだった。マラエまでの道のりは、車で約五〇分。半島の入り江の畔ぎりぎりを走るので、たまに怖いけれど、絶景だ。
実は、私がダニーデンに住みたいと思った理由の一つは、このドライブウェイの景色にある。日本で見た建物だけが連なる景色と打って変わって、自然しかない。授業に遅れているというのにも関わらず、ジョンとジョンの元上司であり友達の運転手さんと冗談や世間話をしながら景色を眺めていたら、さっきまでの落ち着かない気持ちはどこかに消えていった。
やっと着いたときは、授業の真っ最中。クラス全員がこちらを振り向いた。
ジョンはマオリの男性で、北島の北部から来たと聞いていた。講師もマオリの男性で、私たちに気づくと、笑顔で両腕を大きく広げ、遅れたのにもかかわらず、ハグで迎えてくれた。そしてジョンと講師は、ホンギという、おでこと鼻をくっつけて、お互いの息を交換しあうマオリの挨拶を交わした。その瞬間だけ大勢いた教室が一瞬静まりかえり、人と人とのつながりを感じる、やさしい空気が広がった。講師は、私を送ってくれたお礼を二人に伝えた。クラスメイトたちもその様子を暖かく見守ってくれていた。ここからまた一年が始まるんだなという覚悟が、やっと湧いてくるのを感じた。
飛行機の中は心地いいと書いたけれど、ホームシックになりやすい時間でもある。一人で空の上にいると思うと「なんで大好きな人たちから離れて、こんな遠い国に来ているんだろう」という気持ちがあふれてくることが、ときどきある。
けれど、空港に着いて、スタッフの人に声をかけてもらって、予想していなかったジョンの笑顔を見て、大好きな景色をドライブして、それからマラエに着いたときにはなつかしいクラスメイトたちの顔を見て、ここも私の家なのだ、とやっぱり思った。
ニュージーランドでは、空港に着いたときから、いろんな人種の人がいて、いろんな体型の人がいる。人びとがあまり着飾ることなく、等身大で生きている感じがする。それが、私がニュージーランドを好きな理由の一つだ。それから、見渡すかぎりいっぱいに広がる緑と青い空も。
ここに戻ると、私はこの国が好きなんだな、と感じる日々がやってくる。
安積宇宙(あさか・うみ) 1996年東京都生まれ。母の体の特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く車椅子を使って生活している。 小学校2年生から学校に行かないことを決め、父が運営していたフリースクールに通う。ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務める。同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞。共著に『多様性のレッスン 車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)。 Twitter: @asakaocean