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「第14回 「母」の言葉」 少女のための”海外へ出ていく”話

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赤ちゃんはだれから言葉を学ぶ?

 この文章を読んでくださっているあなたは、おそらく日本語話者だと思います。というか、「母語」が「日本語」の方が多いと思います。

「日本人」という定義、つまりは「日本人であること」は、かなりの多様性を含むものである、と連載の10回目に書きました(「第10回 日本人とはだれですか?」)。しかし「母語」が「日本語」であり、日本語話者である、ということは、国籍など「何人である」ということとは関係なく、わりと明確なものであり得るように思います。

 多くのあなた方がそうであったように、生まれたときに最も親密な関係である人が、語りかけてきたことばが「母語」となります。

 生まれたときから最も親密な関係である人がお母さんであることが多いから、「母語」とよばれるのですが、お母さんがいない場合は、別の人でもいい。とにかく生まれた赤ちゃんに親密に語りかける言葉が、その子どもの「母語」となります。語りかけられることによって、その言葉が「母語」となるのです。

抱き合う母子

 それでは人間は、誰にも語りかけられないと、言葉を習得しないのでしょうか。

 伝説のように伝わっているお話があります(注)。

 今から約800年くらい前、神聖ローマ帝国にフリードリヒ2世という皇帝がいました。このフリードリヒ2世は、6カ国語を話すことができたと言われ、たいへん聡明で、「学神」と呼ばれていたらしい。

 彼は、人間は生まれたときから自分の言葉を持っている、と思っていたようで、言葉を教わらないで育った子どもが、どんな言葉を話すのか、という疑問を持ったようです。そこで、フリードリヒ2世は50人の赤ちゃんを集めさせ、部屋に隔離させて、実験を行いました。実験を行いました……って、ひどい話ですね。現代的に言えばとんでもない人権侵害で、犯罪なのですが、これは「人権思想」などの生まれるずっとずっと前である800年前の話、皇帝、という人が強大な権力を持っていた時代のこと。今、そんな実験を行うことは、いかなる意味でも許されません。

 フリードリヒ2世の行った実験は以下のようであった、と言われています。赤ちゃんには、しっかりミルクを与え、お風呂にきちんと入れ、排泄のお世話をします。生きていくためのお世話はきちんとするのです。

 しかし、赤ちゃんの目を見ない、赤ちゃんに笑いかけない、赤ちゃんに語りかけない、赤ちゃんとふれあいは一切しない。つまり、赤ちゃんが生きるのに必要なことはすべて与えた一方で、スキンシップ、すなわち愛情を与えない、語りかけもしない、という実験をしたというのです。

 結果はどうなったでしょうか。赤ちゃんはどんな言葉を発するようになったでしょうか。

愛されたから、いま生きている

 フリードリヒ2世の実験は失敗であった、と言われています。どんな言葉を発するようになったかは、わからなかった。なぜなら、愛情を示してもらえず、言葉もかけてもらえなかった子どもたちは、誰ひとりとして育たず、全員が1歳の誕生日を迎えることなく、亡くなったからです。

 人間は、ミルクを与えられ、清潔に体を整えてもらうだけでは生きられない、誰かに微笑みかけられ、語りかけられ、ふれられていないと、生きていけない、というお話です。

 この実験を再現することなど、再度言いますが、許されないことです。しかし再現するまでもない。わたしたちが、いま、生きている、ということは、わたしたちが生まれてから、だれかがわたしたちに乳を与え、わたしたちを清潔に保ち、そして、わたしたちに優しくふれ、私たちに語りかけてきた、ということの結果です。

 自分は誰にも愛されていないのではないか、誰からも愛情をかけられなかったのではないか、と思う人がいると思いますが、そんなことはない。あなたがいま、ここに生きているということが、あなたが生まれてからあなたを慈しみ、しっかりとあなたを抱きとめ、優しくふれて、言葉をかけてきた人がいた、ということを意味しています。

赤ちゃんの足

 多くの場合、それは、あなたのお母さんでしょう。母親との間に厳しい関係をもっている方もいらっしゃるかもしれませんが、お母さんが生まれたばかりの幼いあなたを、愛情を持って慈しんでくれたからこそ、いま、あなたが生きている。母親との関係に悩む人は、時折このことを思い出して、母を許してあげてほしいと思います。親というのは、つまるところ、子どもという次世代に許されなければならない存在なのですから。

バイリンガルの育て方

 さて、「母語」の話です。そうやって生まれてから最も親密な関係にあった人、多くの場合は母親、が、あなたに語りかけた言葉が「母語」となります。

 母親が、ある言葉で語りかけていれば、子どもはその言葉を、親密な関係にあるもう一人の人が別の言葉を話していれば、子どもはその別の言葉を話すようになります。

 たとえば、お母さんとお父さんが違う言葉でずっと話しかければ、子どもはお母さんの言葉もお父さんの言葉も話すようになり、いわゆるバイリンガル、と呼ばれる状況になります。

 私自身の子どもたち二人の父親は、ポルトガル語を母語とするブラジル人だったので、子どもたちは自然に日本語とポルトガル語の両方を話すようになりました。

 わたしに話しかけるときは日本語で話しかけます。父親に話しかけるときは、ポルトガル語で話します。それらを混同することは全くありませんでした。日本語を話すときは、日本語だけを話し、ポルトガル語を話すときは、ポルトガル語だけを話します。

 いわば、頭の中で「回路」がちがうようなのですね。両方の言葉が話せるからといって「翻訳」ができるわけではありませんでした。「これは日本語でなんと言うの?」というポルトガル語話者の質問に、「ああ、それは日本語でこういうんだよ」という返事ができるようになるのは、学齢期を過ぎてからだったように思います。

 幼い頃は、ただ、耳で聞き、話しかけられる言葉に応えられるようになるのだ、と、私自身も新鮮な思いで子どもたちを見ていました。

 わたしは子どもたちが生まれたときから、一貫して、日本語でしか子どもたちに話しかけたことはありません。ただ、家族4人で話しているときや、食卓では、わたしがポルトガル語を話すので、家族の言葉はポルトガル語でした。でも、私がポルトガル語を話して、こどもたちにポルトガル語で話しかけても、彼らはわたしには、日本語で返します。

 彼らにとって、わたしがときおり父親や他の人と一緒にいるときに、わたしがポルトガル語を話すのは、あくまで「例外」のようなものだったようで、わたしには日本語でしか返してこないのでした。

 母親が一貫して一つの言葉を話し、父親が一貫して別の言葉を話すと、自然に子どもたちは両方の言葉を話すようになりますが、彼らにとっては「この人には、この言葉を話す」ということになっているようにみえました。ですから、こういう時期に、たとえば、父と母以外の周囲の人が別の言語を話していれば、子どもたちは三つの言葉を繰るようになるでしょう。

 言語習得の過程というのは、ある意味とても興味深いものですから、こういうことに興味がある人は、将来「言語学」という分野の勉強をなさるのもいいかもしれません。

 日本で生まれて、日本語話者となった人は、自分の「母語」で学んでいくことになります。つまり、「母語」と、学校で勉強する学ぶ言葉は一致しています。連載第10回でお話ししたように、世界中の言語の本は日本語に訳されていくことが多いので、日本語で学び、日本語で世界のことを知ることもできます。

 しかし、世界中には「母語」と、「学校で学ぶ言葉」が違うところもたくさんある。日本のように「母語」と「学ぶ言葉」が一致しているところのほうが、実は限られている、とも言えます。

 その話はまた、この後に取り上げていくことにしましょう。

 注)『パワー・オブ・タッチ』Phyllis K. Davis 著、三砂ちづる訳、メディカ出版、2003年。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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