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「第9回 飛行機と荷物と」 少女のための”海外へ出ていく”話

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船でアメリカへ行っていた頃

 私の働いている津田塾大学という学校には、「健康余暇科学」と呼ばれている科目がいくつかあります。普通の学校では「保健体育」と呼ばれるような、健康に関すること、また、体を動かすこと、スポーツ、などの科目を津田塾では「健康余暇科学」と呼んでいるのです。

 津田塾大学は、日本で最初の女子留学生の一人だった、津田梅子、という女性が1900年に作った女子英学塾という学校を母体としています。女性は母親になり、妻になることが、そのほとんどの生きる目的である、と言われていた頃に、職業を持ち、社会に貢献し、オールラウンドに生きる女性たちを育てたい、という津田梅子の夢と共にできた学校です。

津田塾大学本館

津田塾大学本館(ハーツホン・ホール)

 その学校の創成期に、津田梅子はおそらく、オールラウンドに活躍する女性になるためには、自らの体のことをよく理解し、自らをより良い状況にすることがとても大切だ、と思ったのでしょう。日本で最初に、健康教育の教員を養成すべく、アメリカに留学させたりしています。良い体の状態について考えたり、時間のあるときにはどういうことをするのが良いのか、などについて教育していくことは、この学校の基本の一つとなり、「健康余暇」とか「ウェルネス」とかいう言い方で、今も伝えられています。

 ですからもともと津田塾の体育系の授業はちょっと変わっていた、と言われています。数十年くらい前までは「姿勢」について厳しく教育されていたようで、学生たちは入学するとスクール水着で写真を撮って姿勢を確かめ、姿勢をどのように直していくか、という授業もあったようです。

 また、乗用車にはどのような姿勢で乗るか、とか、海外に渡航するには、船に何週間も乗っていなければなりませんから、その船に乗った洋上の「余暇」の時間にどのような軽いスポーツをするか、などを教えられていたこともあるようです。

 今ではさすがにそんなことは教えられていませんが、今も津田塾の保健体育系の講義は、いわゆる球技をやったり、走ったりするだけではなく、動きを理解したり、良い姿勢について考えたりする、元々の「健康余暇」の発想が大切にされています。

 若い方々には考えることもできないと思いますが、海外へ行きたいと思えばすぐ飛行機に乗って海外に出かけられるようになって、まだ50年くらいしか経っていないのです。

 第二次世界大戦前後(70年くらい前)には、例えば、アメリカに行くには、船に乗って何週間もかかっていた。その洋上での数週間の健やかな過ごし方まで大学で教育する、ということは、本当に「海外に行きたい」人たちの思いを汲んでいた学校だったのだろうと思います。

半日でヨーロッパへ

 さて。今は、船ではなく、海外に行くには、飛行機に乗ります。

 東南アジアなど比較的近い国なら6、7時間くらいあれば着きますが、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、などに渡航しようとすると、少なくとも10時間以上かかります。直行で行けなくて、乗り継ぎした場合には、24時間かけてもまだ到着しない、などということもよくあります。

 と言いますか、世界には日本から直行で、つまりは一回だけ飛行機に乗って着ける国のほうが少なくて、おおよその目的地には、どこかで乗り換えなければならないことが多いのです。それでも今は、ロンドンやパリ、フランクフルトなどヨーロッパの多くの国に、直行便で11、12時間程度で行けるようになりましたから、早くなった、と言えます。

イギリス街並み

 そんなふうにヨーロッパにまっすぐ行けるようになって、実はまだ20年ほどしか経っていません。アメリカを中心とする西側と、ソ連(今のロシア)を中心とする東側の国々の間で「冷戦」と呼ばれる政治構造が存在していたのは、私たちくらいの世代からみれば、ついこのあいだのことです。

 その頃、つまりは1990年代が終わろうとするくらいまで、アメリカ、西欧など「西側」の飛行機は、「東側」であるソ連や中国の上空を飛ぶことはできませんでした。ですからアエロフロートなどソ連の航空会社以外のヨーロッパのフライトは、アラスカにあるアンカレジという空港を経由していました。つい20年ほど前まで、ヨーロッパに行くには、アラスカ経由で17~18時間くらいかけていくか、あるいは、東南アジアや南アジア周りでもっと時間をかけていくしかありませんでした。

 「冷戦」とは何か。一体どういうことがあって、ソ連は崩壊してロシアになったのか、冷戦時代は、世界はどのようになっていたのか。そういうことは、ぜひ、若いあなたにも真剣に学んでいただきたいことの一つです。なぜ、まっすぐヨーロッパに行けなかったのかなあ、と考えてみるだけで、いろいろなことがわかってくるでしょう。

 現在の世界を理解するために、今、世界で起こっている問題や、政治や経済状況を考えるためにも、この「冷戦」の時代のことを学ぶことはとても大切です。ソ連は1991年末に崩壊しますが、航空管制の問題とか、いろいろありまして、西側の飛行機がシベリアの上を飛べるようになったのは1990年代の終わり頃だったと言われています。

乗り継ぎとスーツケース

 この連載でもすでに、私自身が30歳直前にロンドンに留学し、そこの大学で働くようになったことを書いていますが、その頃ロンドンにいちばん安く行く方法は、パキスタンを経由する便でした。日本を出て、マニラ、バンコク、などを経由し、その度に数時間、飛行機を待ち、パキスタンのカラチに着きます。それだけですでに十数時間かかっていたと思います。そこで飛行機を乗り換え、ロンドンに向かいますが、それにまた8〜9時間くらいかかっていました。「飛行機を乗り換え」と言っても、次の飛行機が都合よくすぐあるわけではないので、カラチで長い時間を過ごさなければならないのです。飛行機で行ける、とはいえ、ロンドンに着くまで、ものすごく長い時間が必要だったことを思い出します。

飛行機

 また、「飛行機を乗り換える」ということは、預けたスーツケースが別の飛行機に積み替えられる、ということを意味します。飛行機に乗るときは、大きめの荷物は預け、手荷物だけで機内に入ります。預けた荷物は、経由地があっても、そのまま到着地まで届けられることが多いのですが、経由地がある、ということは、預けた荷物が誰かの手で(今は機械かもしれない……)別の飛行機に乗せられる、ということ。

 自分は目的地に着いたけれど、荷物は別の街に行っていて、戻ってくるまでに数日かかった、荷物が全く出てこなかった、スーツケースが壊れていた、など、私自身もありとあらゆる荷物のトラブルを経験しています。

 今はヨーロッパにはまっすぐ行けるようになったとはいえ、まだまだ、どこかで飛行機を乗り継いで行かなければ着けないところも多い。海外に出かけるようになった頃に、「経由地における荷物のトラブル」をあまりにたくさん経験したために、今では、大切な仕事関係のものはもちろんのこと、最低限の着替えなど、預けた荷物がなくなってもなんとかやっていけるだけのものを、機内に持ち込む手荷物に入れるようになりました。荷物の作り方も、ちょっと考える必要があるというわけです。

 船の旅ほどには時間はかからないとはいえ、これだけの長い時間を空港や飛行機で過ごす、ということになりますと、それなりに健やかに空港や機上で過ごす工夫も必要です。また、船の旅の頃と比べると、一挙に距離を縮めていくので、時差が体にこたえます。船の時代とはまた、異なる工夫が必要となってくるでしょう。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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