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「第6回 海外の友人」 少女のための”海外へ出ていく”話

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親友はいますか?

 グローバリゼーションの時代、と呼ばれる今、海を越えての人の往来も多くなってきています。あなたのクラスにも、国籍が違ったり、母語が違ったり、育ってきた文化の違う人たちがいるかもしれないですね。

 自分とは違う言葉を話して育ってきて、自分とは違う環境とで育ってきた人と出会う、というのは、海外に出向くことの大きな喜びの一つです。

 親友、と呼べる人がいますか。今、別に、いなくてもいいと思います。

 友達はたくさんいますか。いる人は、それは楽しくていいですけれど、今、いなくても別にいいと思います。

 長い人生、親友、と呼べる人は一人くらいいれば、それはとてもラッキーな人生、と言えるのではないかな。心通わせる人が、幼い頃、若い頃にいなくても、仕方ないと思います。すごく親しくなる人と出会うチャンスは、実は長い人生の中で、ごくわずか、しかないのではないでしょうか。だからあせることは何もないと思うし、そういうことが起こったら、ただ、喜んでいればいい、なければ、ゆっくり待っていればいい、と思います。

 

国際保健を学ぶためロンドンへ

 私はごく普通に日本で育ってきて、帰国子女でもなければ、すごく国際的な環境で育ったわけでもありませんでした。留学したのも30歳になる直前で、若い頃に海外で学んだわけでもありません。第4回の連載に書いたように、私は「国際協力」の仕事に憧れて、青年海外協力隊に参加し、薬剤師として少し仕事をしましたが、集団の健康状態の把握を目的とする「公衆衛生」という分野の重要性に気づき、結果として、留学することにします。

 開発途上国など、健康状態に格差のある地域で、いったいどんな格差が存在するのか、どれほどの格差が容認できるのか、容認できない格差をうめるため、どのような努力をすればよいのか。そういう分野を「公衆衛生」の中でもとりわけ、「国際保健」と呼んでいます。

私はどうしてもこの分野の勉強をして、この分野で仕事をするようになりたかった。1980年代半ばのことで、その頃、日本で「国際保健」をきちんと勉強できるところはほとんどなかった。だから、留学するしかないな、と思ったのです。

 そして、留学するなら「ロンドンしかない」と、思っていました。外国で勉強するなら、ロンドンしかない、となぜか思い込んでいた。なぜ、どうしてもロンドン、と思い込んだのか、理性的な理由は、今思っても、ありません。「国際保健」を勉強できるところは、アメリカにも、イギリスにも、ベルギーにも、フランスにもありましたが、そしてイギリスの中でも、ロンドンにもリバプールにもありましたが、私は外国に行って勉強するのなら、「ロンドンしか行かない」と心に決めていた。そういう思いをなぜ抱くのか、はとても不思議ですが、きちんと説明できません。

 

『ポーの一族』の舞台

 あなたは、どこか憧れている外国の街があるでしょうか。ここに行きたい、と思っているところがありますか。そのきっかけはなんだったでしょうか。

 テレビで街の風景を見たのかもしれない。どこかで写真を見たのかもしれない。そこにまつわるお話を誰かから聞いたのかもしれない。でもその街が憧れになることは、説明のつかない、運命のようなものです。

 あなたは、誰かを好きになったことがありますか。なぜその人を好きになったのでしょうか。

 その人の顔が好きだったかもしれないし、お話が好きだったかもしれないし、仕草に惹かれたのかもしれない。でもなぜその人のことを好きになったのか、とても理性的には、説明できない。

 「行きたい街」、「憧れる場所」も同じだと思います。何かのきっかけがあって、あなたはその場所に心を奪われる。そして、どうしても行かなければならない、将来、ここに関わらなければならない、と思う。

 そういう場所に、いつか、行けるといいですね。きっと行けると思います。そういう理不尽な、憧れや恋にも似た気持ちが、すべての始まりなのだと思います。

 私にとって、ロンドンはそういう街だったのですね。萩尾望都さんという、有名なマンガ家がおられますが、彼女が1970年代に描いていた、ロンドンを舞台とした『ポーの一族』という少女マンガ史に残る名作を、本当に好きだったこと。どう考えても、これがロンドンに行きたかった一番の理由です。

 行くならロンドン、勉強するならロンドン、と思いつめた一番の理由は、なんと、マンガ……。でも、そういうものなのだ、と思いますね。

 もちろん、理性的に考えれば、たくさんの旧植民地を持ち、熱帯医療の研究の蓄積が多いイギリス、しかもその首都のロンドンは、国際保健を勉強するのに最もふさわしい街の一つと言えます。

 実際に私の留学することになる、ロンドン大学衛生熱帯医学校というところは、世界で公衆衛生、国際保健を勉強するためのいちばん有名な学校のひとつでもありました。

 でも、そんなことはみんな、後づけだったと思います。

 私はマンガに始まる理不尽な感情とともに、なぜかロンドンに行かねばならない、と思い込んでいた。何かに憑かれるようにロンドン、ロンドン、と思っていました。

 

世界中から集まる学生

 ロンドン大学、というのは、日本でイメージする大学とはちょっと違います。大きな「ロンドン大学」というキャンパスがあるわけではありません。小さな学校が幾つかロンドンの街中に点在していて、それらが全て総称されて、ロンドン大学、という大学になっています。

 私が留学したロンドン大学衛生熱帯医学校、というところは、大英博物館の裏にある、一つの建物だけの学校で、学部はなくて、大学院生だけの学校でした。

 しかも、若い大学を出たばかりの学生さんはほとんどいなくて、世界中で、すでに国際保健や公衆衛生の何らかの仕事をしてきた人が、大学院でもっと勉強したくて、やってきている、というような学校。たくさんの異なるコースがあり、それぞれのコースに数十人の学生がいるのでした。

 選んだコースは、「開発途上国における地域保健の修士コース」という一年間のコースでした。そのコースには私自身を含め、20カ国を超える国から、30名ほどの学生が集まっていました。ソマリア、ジンバブエ、ガーナ、ブラジル、コロンビア、ペルー、ニュージーランド、タイ、ミャンマー、フィリピン、バングラデシュ、インド、台湾、日本、イギリス、オランダ、スペイン、ドイツ、アイルランド、カナダ、ヨルダン、イエメン……。

 世界、というのは、こうやってできているのだな、と思うくらい、世界中の人が来ていました。

 一年間、濃密な時間を共に過ごして、私には、言葉も文化も異なる、海外の友人ができました。

 海外に出て行って一番つらいのは、自分がどういう人間であるか、を最初はわかってもらえないこと。

 自分が日本で生きてきた時は、周りの人は、私がどんな人間か、だいたいわかっていました。もう、30歳近かったのですからね。どういうことが好きで、どういうことが得意で、どういうことは苦手で、何ができて、何ができないか、そういうことは、すでに、自分の言葉を話す自分の周囲の人た日にはわかってもらえていた。

 しかし、いったん海外に出ると、自分のことをよくわかってくれていた人は一人もいません。私がどのような人間であるか、うまく話せない言葉と、わからない環境で、少しずつ理解してもらうしかありません。

 たくさんの世界各国の人に囲まれて、少しずつ手探りで、それこそ夢中で、自分のことをなんとか表現しようとしていたのか、と思います。

 

スペインから来た親友

 今になれば、わかります。なぜあんなにロンドンに行きたかったのか。この人に会うために、ロンドンに来たのだ、と思える友人に、私は、出会います。

 ロンドンに行くことが私の運命であった、と思えるような。クラスメートであった、スペインから来たChusは私の無二の親友になりました。

 チュス、と読みます。彼女の名前はマリア・ヘスースと言って、それを縮めて、チュス、と呼ばれていました。

 今となれば、この出会いのために、私はあれほどロンドンに惹かれていたのではないか、とさえ思う。

 日本で生まれ、日本で育ち、日本で生きてきて、ザンビアで働いていた私に、スペインで生まれ、スペインで育ち、スペインで生きてきて、ニカラグアで働いていたチュスは、世界中の誰よりもお互いに分かり合えると感じる同性の友人となりました。

 私たちは、ロンドンのパディントンという地区にある、大学院生用の寮のとても小さな部屋をシェアしました。ビジネスホテルを改築して建てたこの寮は、いわゆるビジネスホテルのツインの大きさしかありません。

 一応バストイレは部屋についていますが、窓際にライティングビューロー、つまりは折りたたみ式の机と本棚があり、あとは二つのベッドがあるだけの部屋。しかも二つ目のベッドは折りたたみ式になっており、壁に向かって折りたたまないと、食事をするための小さなテーブルを広げることもできないような部屋でした。

 もちろんプライバシーなんかありません。まったく同じ部屋に二人で共用で使うクローゼットがあり、そこにお互いの服や持ち物を入れ、同じ場所で眠ります。

 こんな小さな部屋に、30になろうかといういい大人が二人で部屋をシェアして、気持ちよく暮らせる、なんて、ありえないと思うのですが、私たち二人は、何のいやな気持ちを抱くこともなく、まるで双子の片割れのようにお互いを感じ、何もかもをシェアし、一緒に笑って、一緒に泣いて、一年を過ごしたのでした。

 つい先日も、ジュネーブに住む、彼女を訪ねたばかりです。

 30年経っても、そんなに頻繁に会えなくても、私たちのお互いに抱く親密な感覚は少しも変わりはしません。お互い妻になり、母になり、もう、おばあちゃんになるような年齢ですが、それでも、お互いに会うと、ただ、嬉しくてたまらない。

 全く異なる文化背景で育った私たちが、こんなに親しい友人になれたということ。それだけで、海外に出て行くことは素敵なことだった、と思うのです。

 私はこの無二の親友だけではなく、私の二人の子どもたちの父親になる人にもロンドンで出会いますし、二人の子どものうち一人をこの街、ロンドンで産むことになりますから、やっぱりロンドンは運命以上の街となるのですが、それはもう少し、のちの話になります。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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