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「第5回 海外の本を読んでみる」 少女のための”海外へ出ていく”話

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眠れない夜の過ごし方

 若いあなたたちと比べれば私はもう、ずいぶんな年をとっているのですが、それでも、夜更けに、ふと人生に惑い、考え込むこともあります。

 夜更け、というのは、どうもよくないですね。夜がしんしんと更けていくころには、大したことのないことでも、それからの人生を全部ひっくり返してしまうような大きなことに思えたりするのです。

 夜というのは、ゆっくりものごとを一人で考えたり、親しい友人と語り合ったり、恋人と愛を交わしたりするには、とてもよい時間なのだと思うのですが、何かに心がとらわれていると、一人の夜はけっこうつらい時間になったりします。

 夜が一人でつらいし、こわいから、人間は家族を作ってきたんだったかな、なんて考えたりもします。

 いったい、どうして、人間は家族を作って生きてきたんだっけ。

 家族の起源、ってなんなのだろうか、というのは、これまた、非常にむずかしい問題で、人間がよくわかっていないことの一つです。そんなことを考え始めると、もっと眠れません。

 日本の研究が、世界で最高水準、と言われるようになった分野は少なからずあるのですが、「霊長類学」という分野も、日本が世界の研究のトップを走っている、と言われている分野です。たくさん、本も出ていますし、人間のありように大きな示唆をもらえますから、ぜひ、読んでみていただきたいものです。

 とりわけ大型類人猿と言われるゴリラ、チンパンジー、オランウータン、ボノボなどの研究者には、人間の「社会」や「家族」の起源について研究しておられる人も少なくありませんし、その議論はなかなか刺激的です。ボノボやチンパンジーは毎晩、木の上で、枝を折って、ベッドを作りそこで一人で眠るようです。でも群れの仲間は割と近くに寝ているらしい。

 彼らも眠れないことってあるのだろうか、ないんだろうな、いや、あるかもしれないな、なんて、眠れない夜に考えたりする。ボノボのことや人類の家族の起源を考えるより、羊の数を数えた方が眠れるのかもしれないのですけれどもね。

 

どうしても眠れなかったら

 ともあれ。つらい夜も、そこで眠ってしまって朝起きてしまえば、なんだ、なんであんなことに悩んでいたんだろう、と思えたりしますから、若いあなたがたにも、「夜に悩む時には、寝てみる」をまずおすすめします。

 宿題もあるのに、やることもあるのに、寝てはいられないですか?

 ではそれらは、明日、早起きしてやることにして、まずは寝るのです。

 起きてみれば、また、違う日が始まっており、違う自分になっていたりします。

 今日の自分はひとまず、寝る前で終わり。明日はまた、違う自分なのです。

 まず寝てみる、といったって、悩んでいるから寝られないんだ、っておっしゃるかもしれないですね。そうですよね。眠りについても寝つかれない、ということもあるでしょう。悩んでいるんだからね。

 そういう時には、「海外の本」を読むこと、がおすすめです。

 自分が今住んでいるところと、想像もつかないくらい遠く、あるいは思い致すことも普段はできないくらい昔、など、地理的にも時間的にも、自分から遠いところにいる人が書いた本を読むのです。

 そうすると、なんだか、自分が考えたり、悩んだりしていることが、少し遠くに思えてきます。

 あるいは、自分がものすごくたいへんだと思って、私だけの悩みだと思っていたことは、こんなに遠くの人、こんなに時空を超えて自分とは関係のないところや時代に生きていた人も、似たようなことを悩んでいたんだ、と知って、これまた、自分の悩んでいることは、大したことじゃないんだな、と思えたりします。

 人間と人間社会ってすごく進んできたかのように言われていますけれども、じつは人間ってあんまり変わってないんだな。ビルが建ったり、飛行機が飛んだり、スマホができたり、人工知能が開発されたりしているけど、人間の感情とか、考えていることとか、関係性とかって、そんなに変わってないなあ、と思えたりします。

 

人生で経験しそうなすべてが書かれている本

 おすすめの「海外の本」は、まず、海外の小説です。

 とりわけ19世紀や20世紀に書かれた「西洋近代文学」と呼ばれる本がいいと思います。いわゆる『世界文学全集』、というものに入っているような、トルストイとかチェーホフとか、バルザックとかディケンズとか、モーパッサンとかアンドレ・ジイドとかゲーテとか……。え? むずかしそうだから、いやだな、とおっしゃいますか? そこがいいんですよ。むずかしそうで、読めそうにないから、眠れない夜に読んでみるといいんです。すぐ眠くなります。

 いや、読めないから寝てもいい、とかそういうことではない。もちろん、読んで、おもしろくて、素晴らしいから、読んでいただきたいんですよね、本筋として。

 この時代の西洋文学には、私たちの人生で経験しうるおおよそすべてのことが書いてある、と言って間違いありません。だから、いわゆる「近代文学」と呼ばれるなかから自分の好きな作家が見つかると、その人に、生涯にわたって励まされ続けることにもなるでしょう。

 この時代の文学には、「人間」とは何か、ということが幾重にも違うかたちで書き込まれており、その書き方は作家によって千差万別だから、必ずあなたが気にいる人を見つけることができるでしょう。
 今、人生の黄昏時になって、若いころに読んだ本を読み直してみて、改めて自分の若いころの悩みを思い出したり、まったく違う読み方ができるようになったりするのも、興味深いことです。

 

電車を乗り過ごす本

 眠れない時に読むだけではなくて、移動中の電車の中でも本を読むことがあります。夢中になって読んで、電車を乗り越してしまった、という経験が、近年、覚えているだけで、二度あります。

 最初に読んでいた本は、ドストエフスキーの『罪と罰』。

 タイトルだけは聞いたことがあるでしょう。あまりにも高名な19世紀ロシアの作家です。この本を確か、中学生のころに読んでいたと思います。その時はとても難しいと思って、読み終えはしたのですが、そんなに夢中になって読んだ、という覚えはありません。でも近年、あらためて読み返したら、帝政ロシア時代、サンクトペテルブルグに住む学生ラスコーリニコフの物語に引き込まれてしまって、ふと気づいたら、降りるべき駅を乗り越していました。 

 二度目は、2017年のノーベル文学賞をとった、日本生まれのイギリス作家カズオ・イシグロの『日の名残り』でした。

 日本から遠いイギリス。第二次大戦前後の、自分が生まれる前のこと。そこで上流階級の家で働いていた執事(英語でバトラーというのですが)の独白の続く小説です。帝政ロシアの学生と同じくらい、自分とはまったく環境も境遇も違う、イギリス人執事。その人の物語と、幾度も出てくる「品位」という言葉、自分の感情への節制、について深く共感し、はっと気づくと、また、降りるべき駅は通り過ぎていたのでした。

 

世界の文学を読めるよろこび

 先ほど、『世界文学全集』に入っているような本、と書きました。みなさんは、大きさが同じシリーズで、書名の異なる背表紙がずらっと並んだ『世界文学全集』なんて、知らないかもしれない。『世界文学全集』とか『日本文学全集』とか、よほど図書館によく行くような本の好きな人でないと、見たことがないかもしれないですね。

 でもね、じつは、みなさんのおばあちゃんにあたる人が子どものころ(1950〜60年ごろ)、日本の多くの家庭に、『世界文学全集』とか『日本文学全集』がずらっと並んでいた時代があったんですよ。

 大学の先生とか、すごく学歴が高い人たちの家庭でなくても、たくさんの人がこの「文学全集」を居間に並べていたのです。

 今の若い人たちが、J-popや、マンガやゲームや、そういったものをかっこいい、と思うのと同じようなレベルで、好きなマンガに関するグッズを部屋に並べて素敵、と思うのと同じような感じで。日本はまだそれほど豊かな国ではありませんでしたが、世界で「先進国」と呼ばれるようになる、ちょっと前のころ。こういった「文学全集」を買って、並べておくことが、かっこいい、と思われている時代があったのですね。

 私の家族も、まったくいわゆる「インテリ」の家ではなくて、大学に行ったのは、私が初めて、というような家でしたが、本棚には、この「文学全集」がありました。父親が憧れて買っていたのだと思います。本人が読んでいたかどうかは定かではありませんし、読んでいるのを見たこともありませんでしたが、活字中毒の少女だった私には宝の山のように見えていました。

 その時代に、普通の家の本棚に『世界文学全集』があった、ということは、そのかなり前から、「世界文学」がこの国では、こぞって訳されていた、ということを意味します。

 「翻訳」は多くの人の憧れる、また、やってみたい、と思う仕事になり、英語、フランス語のみでなく、今、この国には、世界に存在するかなり話者の少ない言語でも、話し手や、翻訳をすることができる人がいることは驚くべきことだと思います。

 世界の中ではマイナー言語の一つである日本語ですが、明治時代の先達の、外来語を翻訳していこうとする努力の果てに、今や、日本語は、世界で最もたくさんの本が訳される言語の一つになっていると思います。

 明治時代に始まる日本の翻訳文化は、世界中の本を今や、ほぼリアルタイムで訳していく力を備えるに至っています。

 眠れない夜、そのようにして訳された「海外の本」に出会う喜びに耽溺してもらいたいものです。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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