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「第4回 国際協力、という仕事 1」 少女のための”海外へ出ていく”話

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誰かの役に立ちたい?

 誰かの役に立ちたい。誰かの役に立つ人間になりたい。困っている人がいたら助けたい。苦しんでいる人がいたら、力になりたい。理不尽な扱いを受けている人たちがいない世の中になってほしい。

 若いときに抱く、そのような思いは、とても大切なことだと思います。自分たちが生きている、そしてこれから生きていく世界がよりよきものであってほしい、と誰しも願うものだと思いますが、一部の若い人たちは、特にそういう思いを強く抱くことが多い。あなたもそういう人かもしれない。これからあなたはたくさん学び、たくさんの経験をしていくわけですが、「誰かの役に立ちたい」という思いは、ずっとあなたを導いていくでしょう。

 ノーベル経済学賞をとった、アマルティア・センという学者は、人間は、自分の利益のためだけに行動するのではない、といいました。ちっとも自分の利益には直接つながらないのに、他の人のために行動しようとする、「コミットメント」という考え方を提示しました。人間の行動の基礎には、そういうものがある、というのです。遠い国で、つらい思いをしている人、遠い地方で、災害にあって困っている人、そういう人たちのために何かをする、ということは、直接には自分の何の利益にもなりません。でも人間とはそういうものなのだ、というのです。

自分になにができる?

 だからと言って、まだ、若くて経験も少ないときは、駆けつけて、その場に自分を置いても、「わたしは一体何ができるんだろう」と思うことも多いでしょう。

いや、本当は、つらい気持ち、きつい気持ちを抱いている人のそばに寄り添っているだけでよい、あなたのような若い人が寄り添ってくれるだけで力になる、ということも、もちろんあります。

『苦海浄土』という、水俣病を扱った小説でよく知られている石牟礼道子さんという作家は、「悶(もだ)え神」ということについて書いています。

何か苦しんでいる人、つらいことがあった人のそばで、具体的に何かができるわけでなくても、「せめて、悶えてなりと加勢する」ような存在が、いかに力になるか、ということです。一緒にいて、何もできなくても、ただ、ともに苦しんでくれるような、そんな存在のことでしょう。

 具体的に「何かできる」わけでなくても、ある存在が自分の力になる、ということは、いくらでもありますね。

生まれたばかりの赤ちゃんは、具体的に何かができるわけではなく、むしろ、こちらがすべてをやってあげなければならない存在ですが、ただそこにいるだけで家族を幸せにし、明るい気持ちにさせます。大好きなおばあちゃんも、たとえ寝たきりであっても、そこにいてくれるだけでうれしい、ということがあります。だから、何をしているのか、が重要ではなくて、ただそこにいる、そこに存在がある、ということだけで十分だ、とも言えるのです。

具体的な夢をもつ

 若いあなたは、そこにいるだけで、家族の希望であり、周囲の人の喜びです。

 でも同時にあなたは、もっと何か具体的に「助け」になれる人間でありたい、と願うことでしょう。そのように、もっと上達したい、もっとよりよい人間になりたい、と考えることもまた、わたしたちの欲望だから、です。それが、具体的な「夢」や「目標」になってゆくのです。

 わたしは小学校の頃に、シュヴァイツアーの伝記を読みました。シュヴァイツアーが熱帯病と闘う医者として活躍していることに、深い感銘を受けたものです。熱帯地方にはこのように苦しんでいる人たちがいる。それを助けることができる人がいる。わたしはそんな人になりたい、と思いました。そのためにはまず医者になることがよさそうですが、その後のわたしは、医学部に行くための勉強をするようにはならなかった。それでも何らかの医療系の仕事がしたくて、薬学部に進みました。そして、薬学部に在学中、アフリカの飢餓のニュースがたくさん耳に入るようになり、わたしはやっぱり、そういう理不尽な扱いを受けている人がいるようなところで、何か役に立つことをしたいのだ、と思い出します。「国際協力」という仕事を具体的に目指したい、と思うようになるのです。

国際保健という仕事

 結果として、医者にはなりませんでしたが、「国際保健」という、開発途上国における保健医療の問題、格差による健康問題などを扱うような仕事をするようになりました。開発途上国におけるお母さんたちが、いかによい状況で妊娠、出産ができるのか、生まれた子どもたちが、いかに優しくこの世の中で受け止められていくか、ということを考える、母子保健と呼ばれる分野で働き、具体的にいろいろな国で仕事をし、また、そのことについて日本で若い学生さんに教えています。

 すでに還暦を迎えた年齢のわたしですが、今振り返ると、若い頃に感じた「誰かの役に立ちたい」という思いにここまで導かれていたように思います。わたしがやっていることが本当に誰かの役に立っているのかどうか、それはわかりません。ただ、自分がこのようでありたい、と願っている方向の上に、自分があることを、幸せだと思います。

 そのためにどう言うことを積み重ねてきたのか、具体的なことも次の節で書いてみましょう。

そもそも「国際協力」って?

 小学生の頃なんとなくシュヴァイツアーに憧れ(今なら、マザーテレサ、なのかもしれません)、大学時代にアフリカの飢餓のニュースに衝撃を受けたわたしは、いわゆる「国際協力」の仕事をしたいと思いました。

 さて、国際協力の仕事、とはなんでしょう。

 まず思い浮かぶのは、いわゆる国連、国際連合などの国際組織で働く、ということでしょうか。今はよく知られるようになっている、日本の国際協力の多くを担っているJICA(Japan Internaitional Cooperation Agency)で働く、ということでしょうか。また、ボランティア組織で働きたい、ということかもしれないですね。日本は今、いわゆる先進国、という国の一員ですから、国際協力、というときは「国際協力をする側」として考えています。

 しかし、「国際協力を受ける側」であったのも、そんなに昔のことではないのです。

 今、日本中の人たちが使っていて、北海道から九州まで走るようになった新幹線ですが、最初の東海道新幹線は1960年代に、「国際協力を受ける側」として世界銀行の貸出を受けて作られています。それから50年以上経ち、国際協力をする側、としての日本にも多くの経験が蓄積されてきました。

 わたし自身が大学生だった1970年代後半は、国際協力をする側、としては、日本はまだまだ新参者だった頃でしたから、どうすればそういう仕事ができるのかよくわかりませんでした。

 今はいろいろなオプションが増えていると思いますが、わたしの場合をお話ししてみましょう。思いがけない出会いに導かれながら、それでも、「国際協力をやりたい」と思っていたことに導かれてきた一つの道、です。

自分に足りないものは?

 薬学部の学生だった頃、京都の6畳一間、トイレは共同、お風呂はお風呂屋さん、という下宿で、いろいろな本を読みながら、いったいどうしたら「国際協力の仕事」ができるのだろう、とじっと壁を見ていたことを思い出します。

薬学部だけではありませんが、医療系の資格を取るための学部はどこもたいへん忙しく、カリキュラムは授業と演習でびっしりとつまっていて、世界で起こっていることを身近に感じる余裕も機会もありません。当時から、上智大学や津田塾大学やICU(国際基督教大学)、関西学院、といった大学ではいかにも国際的な勉強や語学を学んでいるように見え、とても憧れたものです。

大学4年生のとき、卒業後に、大学病院で研修をすることは決まったものの、どうしてもこの自分の「国際的なことへの知識と情報不足」を解消しなければならないのではないか、いわゆる「理論武装」をしなければならないのではないか、と思って、社会科学を勉強することにしました。

薬学部で学んだ技術的なことだけでは、世界と関わっていくには不十分だと思ったのです。

 開発経済学とか、開発論などが話題になり始めた頃だったこと、そして、薬学部の教養科目として経済学をおしえに来てくださった元京都大学の出口勇蔵先生の講義に感動したこと、などがあり、わたしは薬学部を出たあと、もう一度経済学部に入り直すことにしました。

それでもお金は稼がなくてはなりませんから、昼間は薬剤師として働き、当時は存在した経済学部の夜間部(神戸大学経済学部第二課程)に学士入学しました。3年間、仕事を終えた後、夜に学んだ経済学部のあれこれの授業にわたしはすっかり魅入られ、世界の成り立ちや仕組みを学ぶ、というよろこびを知りました。細かな技術を学んでいく医療系学部も魅力がありましたが、社会科学を学ぶということも、本当に楽しいことでした。

いよいよ、アフリカへ

 そうして薬剤師として3年間働き、経済学部も卒業しようという頃、通学路のバスで「青年海外協力隊募集」というポスターが目に飛び込んできました。今も電車の中などでたくさん広告が出ていることがありますから、あなたも見たことがあるでしょう。

これは、先述のJICAの行っている海外派遣ボランティア制度で、今では50年以上の歴史があります。ボランティアといっても現地での生活費は支給され、派遣中は国内でも若干のお金が積み立てられていきますから、無償のボランティア、というわけではありません。

目に飛び込んできたポスターに誘われるままに受験し、アフリカのザンビアという国で、薬剤助手と呼ばれる薬剤師のアシスタントのような仕事をする学校の教師をすることになりました。

 開発途上国の現場に出てみると、医療保健の分野では「公衆衛生」ということが重要な分野であることがわかってきます。

公衆衛生とは何か、と言うと、医学の一分野で、集団の健康について考えていく分野です。病院で働いているお医者さんは一人一人の患者さんの状態を診断し、把握して、治療をしますが、一人一人の患者さんではなく、ある地区の集団の健康状況を診断し、把握し、どのようなことをしたらよいのか、考えていく分野です。

たとえば、東京都における高血圧の人の割合、とか、タバコと肺ガンの関係、とか、を考えていくのは公衆衛生の分野の仕事です。

だからもちろん、開発途上国の健康状態が悪いのであれば、それはどのように悪いのか、何が原因なのか、どういうことがなされるべきなのか、現地の人はどういうことを望んでいるのか、集団として把握していくのが医療分野の公衆衛生の仕事なのです。

現場に行ってみて、わたしはこの分野の重要性にやっと気づくことになります。(続く)

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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