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「第3回 外国語を学ぶということ」 少女のための”海外へ出ていく”話

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母語を話す自分、外国語を話す自分

 外国語を学ぶということ、ってどういうことでしょう。

 今の自分の母語ではない言葉を話すとは、どういうことなんでしょう。

 私は、外国語を学ぶ、そしてその言葉が話せるようになる、ということは、母語を話している時には、あまり表に出てこなかった、自分の違う部分が出てくる、ということだと思っています。

 言葉は言葉だけではもちろん存在しなくて、その言葉が話されている文化的な文脈と深く結びついています。

 私たちは日本語を話し、使って、学んで、毎日暮らしている。

 そのことによって私たちは否応なしに日本文化の中で生きていることを知ることになるし、また、その豊かさにもたくさん、ふれることができます。それはとてもすてきなことで十分に実り多いものでもあるのですが、あなたのうちには、日本語だけではちょっとあらわしにくい部分だって存在するかもしれないのです。

 私は日本語を母語とする日本人です。帰国子女でもなく、幼いころからずっと日本で暮らしました。日本語以外を話す機会も特にない、普通の日本の環境で育ったと言えます。外国語にはいつも憧れていました。

 私たちのころは中学校に行けば英語を習う、ということになっていましたから、とてもわくわくして楽しみにしていたものです。外国語を使って何をしたかった、というわけではなく、今にして思えば、「外国語を話せるようになる自分」、「外国語を自由に操って、日本の人ではない人と自由におしゃべりして友達を作る自分」に憧れていたのだと思います。

 

学生時代は英語がまったく話せなかった

 中学、高校、大学、と英語を習ってきましたし、大学では第二外国語としてドイツ語も学びましたが、「話す言葉」、「使って仕事をする言葉」として英語を使えるようになったのは20代の半ばになってからでした。

 大学の学部は薬学部でしたから、英語に関しては取り立ててここに書くほどの英語教育もなく、大学受験した時の英語の力のまま、必要な論文を読む程度のことしかしませんでしたので、学生時代には全く話せるようになりませんでした。

 25歳の時、青年海外協力隊に薬剤師として参加することになって、初めて「話す英語」のトレーニングを受けました。その時の楽しさを今も忘れることがありません。

 ケルビン先生、というイギリスから来た若い男の先生を囲むごく少人数のクラスで朝から晩まで英語を話すということを初めて経験しました。それまで中学、高校、大学、とある程度読んだり書いたりする英語を学んできていましたから、それだけの基礎があれば、慣れることさえできれば、話せるのです。

 最近は小学校から英語の授業があるそうですね。あなたも中学校や高校で英語の基礎をしっかり学べば、機会があれば、いつでも話せるようになります。

 日本の学校でいくら英語を勉強してもしゃべれるようにならない、とか言われたりしますが、幼いころではないある程度大きくなってからの語学の習得で、いちばん大切なのは、やっぱり基礎をきちんと学ぶことなのです。

 

「論文はやっぱり英語」

 たどたどしいながらも英語が話せるようになった私は、本当にうれしかった。何よりうれしかったのは、英語で話すと、日本語で話す時より、ずっと「ものごとをはっきり話すことができる」と感じたことです。

 もちろん、あまり上手じゃないから、はっきり言わざるを得ない、というところもあったとは思います。しかし、それ以上に、英語というのは、論理的で、はっきりと物を言い、自分の意見を表すのに向いている言葉だと思います。常に主語をはっきりさせ、論理的に議論を組み立て、説得力を持って語ることにとても向いています。

 今、世界中の学術研究の論文は、英語が多いのです。これは、英語が「論理的」で、「意見を明確に述べる」ということに言葉の構成として、向いている、ということと、無縁ではないと思います。フランス語を母語とする友人も、ポルトガル語を母語とする友人も「論文はやっぱり英語で書くのがいちばん論理的に書けるよね」と言っていましたから、この「論理的」な英語、という印象は日本語話者の私だけではなさそうです。

 英語を話す時の私は、日本語を話す時の私よりも、論理的にしゃべるようになります。ロジカルで議論モードな自分が、日本語を話している時より、前に出てくる、という感じでしょうか。日本語を話している時は、なんとなく、ごまかせていたような内容も、英語では明確に説明しなければ、通じません。

 何度も言いますが、これは、私が英語がそれほど上手ではなかった、ということもありますが、それより言語の構造として、英語が「論理的な話し方」に向いているからだと思うのです。

 そして私は、英語を話している私が、日本語を話している私とはちょっと違っていることを、とても楽しいことだと思います。

 語学を学ぶ、ということは、自分の母語だけを話している時には、あまり表に出てこなかった、「違う部分の私」が前に出てくることなのです。

 外国語を学ぶことで、自分では気づかなかった「いつもと違う私」に出会うことができるのです。

 

世界にはたくさんの言語がある

 あなたは英語を勉強していますか。今は小学生から勉強させられるようですから、きっとずいぶん勉強しているんでしょうね。

 英語は好きですか? おもしろいですか? 英語なんか嫌いだ、と思っているかもしれません。周りの大人はみんな、英語ができるのって大切だとか、グローバル社会で生き抜くのに必須だとか、インターネット時代には不可欠だ、とか言ったり、何より、「これからの受験にいちばん大事な科目だ」なんて言っているかもしれないですね。

 でもあなたが英語が難しい、と思うのには理由があります。

 世界中には本当にたくさんの言語があります。言語の辞典によると6000以上あると言われていたり、8000あると言われていたりするようですが、とにかくたくさんあります。一つの国の中で話している言葉が100以上ある、なんていうことも珍しくありません。

 その中で、英語はもちろん最も多くの人が使う、影響力がある言葉ですが、ある意味、その一つに過ぎない。そして、英語は、「日本語話者」(この文章を日本語で読んでいるのですから、あなたは日本語を使っている人だ、と考えています)にとって、最も難しい言語の一つかもしれない、と、時折思うことがあります。

 英語の発音、難しいですよね。日本語のようなはっきりした、あ、え、い、お、う、という母音だけではなくて、「あ」に近い発音だけでもいくつもあったりするし、r とlはうまく発音しきれないし、日本語にはない発音がたくさんあり、それに、うまく発音しないと、どうやら、英語スピーカーの人たちは私たちの言うことをわかってくれないらしい。まず、発音が日本語とかなり違います。あなたは英文法を習い始めていると思いますが、日本語と、言葉の順序からしてずいぶん違いますよね。戸惑うことばかりだと思います。

 それに、何より、アメリカ、とか、イギリス、とか英語を母語にしている国は「世界の大国」だったり、「世界の元大国」だったりしますので、世界中の人が英語を話せて当たり前である、と、若干錯覚しておられる方も少なくなくて、「相手が英語がしゃべれない」と、「英語がしゃべれないなんて、なんて能力が低いんだろう」と思われるのかどうか、とにかく、英語が話せない人は、英語を母語とする国に行くと、結構、言葉が通じなくて、わかってもらえなくて、しょんぼりする、なんていうことも珍しくないのです。

 しかし世界の言葉は、最初に言いましたように、たくさん、あります。

 英語よりも発音が日本語に近い言葉もたくさんあるし、文法が少し似ている国もあります。それに、その言葉を話す人が、「話せて当たり前」ではなくて、少しでもその言葉を話せると、「うわ、すごいね、この言葉しゃべれるんだね」と喜んで励ましてくれるところも、少なくありません。ですから、英語がうまくいかないからといって、「外国語は苦手だ」と思ってしまうのは、少しもったいないんですよね。

 

外国語はぜんぶむずかしいわけじゃない

 例えば、スペイン語。スペインだけじゃなくて、ブラジルを除くラテンアメリカ全域で話されていて、話者の数としては、英語、フランス語、アラビア後に次ぐ4番目の言葉と言われているし、国際連合の公用語でもあります。たくさんの人が話している言葉です。ブラジルを除くラテンアメリカ、と言いましたが、ブラジルで話されているのはポルトガル語なので、スペイン語が話せれば、日本語話者の私たちから見れば「方言程度」の違いなので、ブラジルでも言葉に不自由はありません。

 英語と比べるとスペイン語の発音は、日本人にとっては、とても楽です。日本語と同じようなはっきりした母音が基礎になっていて、英語のような、口をすぼめたり大きくしたり、といった、難しい母音の発音はありません。

 カタカナで書いてあるスペイン語をそのまま読んでも、結構、通じます。文法の面ではヨーロッパの言葉ですから、英語と同じくらい、日本語とは違いますが、少なくとも発音だけは近いので、日本語話者には、わかりやすいのです。

 それに、ラテンアメリカなどに行って、スペイン語を一言話すと、「おお、あなたは天才ですか」というくらいほめてもらえることが多い。

 英語圏の国に行って、「言葉がわからない」と言われて怪訝な顔をされると、ああ、いくら勉強していても英語が通じないんだ、とがっかりしてしまう経験がかなり多いのですが、スペイン語圏の国に行くと、発音がわかりやすいだけでなく、周りの人が励ましてくれますから、日本語話者はスペイン語がすぐ上達したりします。この辺りは、文化と人の関わり方のお話ですね。

 文法、という意味では、お隣の国の言葉、韓国語は日本語ととても似たところがあります。語順なども似ていますから、こちらも日本語話者にとっては、取り組みやすい外国語の一つでしょう。つまり、発音か文法か、どちらかが、自分の話している言葉と近いと、外国語は学びやすい。

 何が言いたいかというと、「英語が苦手だから」と言って、「すべての外国語が苦手」と思う必要は、ないんですよ、ということです。

 世界にはたくさんの言葉がある。あなたが得意だと思う言葉が、これから見つかっていくかもしれません。英語が苦手だからといって、外国語は全て難しい、と思わないで下さいね。

 だからといって、英語を勉強しなくてもいい、というわけではないですね。ネット社会の今、国際語としての英語の重要性はどんどん増していますから、苦手でもがんばって取り組む甲斐はもちろんあると思います。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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