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「第2回 外に出たら、何かが見つかる?」 少女のための”海外へ出ていく”話

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テーマをみつけてフィールドに出る

 職場の大学で、10年以上、「多文化・国際協力コース」という、のち、学科になるコースを担当していました。多くの大学では、とりわけ文科系の大学においては、3年次から「ゼミ」という少人数の集まりに参加し、教員ともとても密な関係を築きながら、卒業論文を書く、というシステムになっています。

 「多文化・国際協力コース」は、その名前の通り、世界中の異なる文化との共生や、国際協力について興味のある人が集まってくるコースです。このコースでは、ほとんどの大学で取り入れられているような3年次からのゼミではなく2年次からゼミを始め、3年間、同じ学生と教員が、深く付き合いながら卒業論文を仕上げます。

 このコースでは、全員が「フィールドワーク」を行うことを課せられていました。自分でテーマを探し、そのテーマに関して、何らかの現場に行く、つまりフィルドワークをして、論文を書くのです。フィールドワークを行うための方法論、安全面、など、いろいろなことを学んだ後、そんなに長い期間ではありませんが、それぞれのフィールドワークを行います。

 多文化共生、国際協力、という分野ですから、海外のフィールドワークを行う人も少なくありません。カナダやアメリカやフィンランドといった先進国のみではなく、タイやカンボジア、ネパール、ブータン、エチオピア、ボリビアなど、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの国にも出かけて行きます。

 国内のフィールドワークも多いですが、毎年少なからぬ人数が海外に出て行きます。テーマは、アメリカにおける“戦争花嫁”のことであったり、ネパールにおける伝統医療だったり、タイにおけるカトゥーイ(“第三の性”と呼ばれる人)だったり。本当に様々なテーマを抱えて海外に出かけます。

現場に出たら何かがわかる?

 テーマを探して、フィールドに出る。つまり、少しだけ大学から外に出ていくわけですが、フィールドに出れば、そこで自分で探したテーマの問いに答えられるような結果が出るのでしょうか。現場に出たことで「すっきり」するのでしょうか。いろいろな物事の見え方がすっかり変わるのでしょうか。

 期待は高いし、多くの結果を得る人もいますが、おおよその場合、フィールドに短期間出る、というだけでは「まだ何もわからない」、ということを知ることになります。そのテーマについて、深く考え、すでに出ている文献も探し、十分な準備をして「外に出て」いくのですが、「こんなに短い間では何もわからない」「現地の言葉の能力が十分でないから、うまくコミュニケーションが取れない」「せっかく行ったのに、思ったようなことはできなかった」と考える人が多い。

 それでもその結果をもとに、なんとか卒業論文を書かねばなりませんから、自分が見てきたこと、聞いてきたことの結果から何を考えるのかをさらに議論し、本を読み、自分のテーマとの格闘を続け、論文に仕上げていきます。そのプロセスで、十分ではなかったけれども、外に出て自分が見てきたことの重要性に、改めて気づいていくことになります。

自分は何も知らない

 少しだけ外に出てみよう、というのは、それと同じこと。若いあなたには、まだまだ日本の外に出て行くチャンスは、たくさんはないかもしれません。それでも今は、修学旅行で海外に行くこともありますし、家族で旅行することもあるでしょうし、短い間の留学の機会もあるかもしれない。そういう機会があれば、ぜひ、外に出てみるといいと思う。

 少し外に出てみただけで、あなたの世界がすっかり変わってしまうわけでは、おそらくないでしょう。それでも、少し外に出れば、いかに自分が何も知らなかったか、に気づくことができる。本を読んだり、ネットで検索したり、いろいろな情報があるからよくわかっていたつもりだったけど、実際行ってみたら何もわかっていなかったとか、やっぱり言葉が通じないとダメだ、とか、新たに気づくのです。

 出ただけでは、現場に行っただけでは、何もわからないのだということを知るために、少しだけ外に出てみる。そのことに導かれて、自分の人生の方向が決まっていくこともあるでしょう。機会があれば、ぜひ、少しだけでも外に出てみよう、ということをお勧めしたいのは、「自分が何も知らないことを知る」ことができるから、なのです。

海外通話は高額だった

 インターネットの時代になり、世界中で起こっていることは、まるで手に取るように瞬時にわかるようになりました。メールやSNS(Social Networking Service: TwitterやLINEやFacebook、Instagramなど)の普及とともに、世界中の人とすぐにつながることだってできます。パソコン、携帯電話、スマートフォンの普及は、世界中の人とのコミュニケーションを大きく変えたと言えるでしょう。

 人間は「こんなふうにできればいいな」という願いを、技術の力で少しずつ実現してきたのだと思います。

 もともと、直接会う、個人的に手紙を届けてもらう、以外に連絡を取る可能性はなかったのに、19世紀頃には郵便制度が整備されてゆき、時間はかかっても海を越えた相手にも、手紙が届くようになりました。「電報」も第二次世界大戦より前には、すでに、使えるようになり、短い文章は、遠く離れた地方にもその日のうちに届くようになります。

 「電話」も発明され、今のあなたには想像もできないかもしれませんが、日本ではだいたい約50年くらい前には、家庭に「電話」が普及し始めるようになります。それでも「電話代」はとても高くて、住んでいる市内以外には、めったにかけられるものではなかったし、海外への通話など、とんでもない料金でしたから、普通の人が気軽に使えるようなものではありませんでした。

「つながりたい」という願いはかなった?

 でも、今は、あなたのご家族や、あなたの大切な人が地球の裏側に行ってしまっても、ネット環境さえあれば、無料で通話をしたり、顔を見て話したりすることができます。瞬時にメッセージを送ることができるのは、もちろんのことです。

 物理的に遠く離れてしまっても、常につながっていたい、という私たちの願いは、こうやって実現するようなっていったわけです。これ以上、私たちは通信の便利さについて、何か、望むところがあるかしら。

 あとできることは実際により早く、私たち自身がどこにでも移動できるように、という実際の移動の高速化、くらいかもしれません。そうそう、自動的な翻訳、通訳、にかける期待もあるかもしれないですね。実際に日本に観光に来た外国人の方の多くは、スマホの自動翻訳機を使って、道やお店をたずねたりしています。

 こんなふうに、世界中の誰とでも直接に連絡を取ることが困難ではなくなり、さらに、インターネットを介して、世界中のニュースや情報も瞬時に自分の目の前のパソコンやスマホから、簡単に得られるようになりました。

 なんでも知りたい、と思うことは、まずネットで検索してみる、というやり方に、あなたの世代は十分に精通していることでしょう。こんな時代になりましたから、「世界の“現在”」をとらえることはとてもたやすい。やろうと思えばいくらでも、世界とつながることができる、と思うかもしれません。

何を探して、誰とつながる?

 しかしすべての、「世界とつながること」、「世界中の誰かとつながること」は、あなた自身から始まっている。

 この情報量と通信技術の便利さの中で、何を求めて、何は求めないのか。具体的に言うと、何を探して、誰とつながるのか、ということは、すべて、あなた自身の「意志」から始まります。何も情報通信手段がなかった頃は、自分の顔の見える範囲の人と連絡を取りながら、自分の手の届く範囲のことをやっていればよかったのですが、この情報の海の中で泳ぎ切り、あなたの求めている「世界」とつながるためには、その上で、世界の現在をとらえるためには、いつにも増して、「あなた自身がどのようであるか」ということが大切になってきます。

 世界の現在をとらえる、とは、世界をとらえる視点を持つ、ということ。世界には様々な視点が同時に存在しうるのだ、ということを知ること。これはインターネットの普及や、情報が瞬時に得られることとはあまり関係がありません。ある視点を持っているからこそ、この膨大に得られる情報を適確に、「腑分け」して、自分の言葉にすることができるのです。

 そして、その視点が、あなたがつながりたい世界とつながり、会いたい人と会い、今の世界の現在をとらえることを助ける。そう思えば、すべての人は、それぞれの世界の現在をとらえる発信点であるとも言えます。

 あなた自身のありよう、ってどういうことでしょう。

 自らの視点とは、どうすれば得られるのでしょう。

 あなたには、何か好きなことがあると思う。興味を惹かれることがあると思う。そこにはとことんこだわってみたらよい。世界はそこから広がっていきます。そして、自らの好きなことにこだわりながら、人間がやってきたさまざまなことについて、時空を超えて学んでみることも、役に立ちます。

 おもしろくないことも少なくないし、勉強はちょっと……という人もいるかもしれない。けれど「学校の勉強」の多くは、人間が今までやってきたことを、体系づけて、わかりやすいように、次の世代に伝える方法でもありますから、やっぱり、勉強してみることは世界の現在をとらえる視点を持つことに、役立つんですね。こうやって文章を読んでみることもまた、その方法の一つと言えましょう。

三砂ちづるプロフィール画像
三砂ちづる (みさご・ちづる)

 1958年山口県生まれ。兵庫県西宮育ち。津田塾大学国際関係学科教授、作家。京都薬科大学卒業、ロンドン大学Ph.D.(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』、『昔の女性はできていた』、『月の小屋』、『女が女になること』、『女たちが、なにか、おかしい』、『死にゆく人のかたわらで』、『五感を育てるおむつなし育児』、『少女のための性の話』、訳書にフレイレ『被抑圧者の教育学』、共著に『家で生まれて家で死ぬ』他多数。

少女のためのシリーズ「少女のための性の話」

少女のための性の話

 

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