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第16回 子育てってたいへん?

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少女のための性の話_三砂ちづる_ヘッダー画像

アフリカの子育て

若いあなたも「子育てってたいへん」って思っているでしょうね。周りのおとなたちがそんなふうに言っているのを聞いているでしょうから。

あるいはテレビをつけていれば、ニュースや他の番組でも、「子育て支援」とか、「母親を孤立させないように」とか、とにかく、子どもを育てるってとてもたいへん、ってよく言っています。だから、あなたも「子どもを育てるってなかなか苦労するもののようだなあ、たいへんなようだなあ」と感じていると思います。

もちろん人間が次の世代を育てるというのは、「おおごと」でとても大切なことではあると思います。でも人間がこれだけ長い間、絶えることなく続いてきたことを思うと、大切なことではあるけれど、そんなにたいへんなことでもないんじゃないかなあ、って思うこともできる。

子どもを産んだり、おっぱいをあげたり、だれでもやってきて、今まで続いてきたんだから、子どもを育てることだって実はだれだってできるんじゃないかな、とも考えられるんですよね。

アフリカに行ってきました。アフリカ、と言っても広い。アフリカ大陸にはたくさんの国があり、それぞれの国が違う。でも共通することもある。子どもたちの育ち方にはちょっと共通するところもあるみたいです。

私が今回行ってきたのは、コンゴ民主共和国、というところ。なぜ「コンゴ民主共和国」と長い名前を書くかというと、アフリカには「コンゴ共和国」という国もあるから。今、アフリカには二つ、「コンゴ」と言われる国があるんです。首都がブラザビルと言う街であるコンゴ共和国。ここはずっと「コンゴ」と呼ばれていたのですけれど、首都がキンシャサの方のコンゴ民主共和国は、しばらくの間「ザイール」と呼ばれていた国です。

なぜこの二つの国がコンゴというのか、なぜキンシャサの方のコンゴはしばらくザイールだったのか。興味があったら、調べてみましょう。アフリカの国は西洋列強によって植民地化されていましたが、どこの国に植民地にされていたか、も調べてみるといいですね。私の言ったコンゴ民主共和国(コンゴDRC、と呼ばれることが多いです)は元ベルギーの植民地で、フランス語が今も広く使われています。現地の言葉はたくさんありますけれど、リンガラ語と言う言葉をみんな共通語として使っています。

子どもがおんぶ

コンゴDRCの村を訪ねていましたが、そこでは幼い赤ちゃんや子どもの世話をしているのは、ちょっと大きい子どもです。世話をされている赤ちゃんや子どもより、ちょっと大きいだけ。

たとえば、4歳か5歳か、と思われるような女の子でも背中に赤ちゃんをおんぶしています。女の子だけではなくて男の子が赤ちゃんを背負っていることもあります。10歳前後になるともう立派なお母さん代わり。お母さんがやるように、腰巻きの布できっちりと赤ちゃんを背中におぶって、家の手伝いもやっています。

子どもの世話なんかさせられて、かわいそうに、学校にも行けないのだな、などと思ってはいけません。この子どもたちはちゃんと学校にも行っています。村に小学校があるし、隣村には中学校もあるし、子どもを育てることやお家のことを手伝いながら、女の子たちも結構、学校に通って勉強もしています。私が行った時は夏休みで、みんな家の周りにいたようです。

ずっと子どもたちの背中におぶわれているから、赤ちゃんの方も「おんぶされ慣れている」という感じで、上手におんぶされていて、お姉ちゃんたちがちょっとくらい手を離しても、しっかり両手両足でしがみついています。赤ちゃんの方も、おぶっているすこし大きな子どもたちの方も、とても濃密な体の接触の中で毎日を生活しています。

日本も、みなさんのおばあちゃんのそれまたおばあちゃんくらいの世代くらいまでは子どもが赤ちゃんの「子守り」をさせられていた、と言いますし、それは本当は学校に行きたいのに「子守り」で行けなかった、とか、学校に赤ちゃんをおぶっていかねばならなくてたいへんだった、というふうに言われているから、あなたもまた、あまりいい印象はないかもしれない。

でも、今回アフリカで子どもたちが赤ちゃんや幼い子の面倒をみているのを見て、幼い頃からの子ども同士の接触は、とてもいいものだなあ、と思いました。

だれにでもできること

私はコンゴDRCでそういう様子を見てきましたけれど、別の国で研究している人類学者の人も同じような話をしていました。

人類学、という学問を聞いたことがありますか? 人間とは何か、人類とは何か、ということを研究する学問で、いろいろな国へ出かけて行って、現場で人間のやっていることを観察させてもらったりするのも、人類学の研究の一つです。

なかなか面白い学問なので、将来、大学に行きたいなあ、と思った時に、人類学を専攻する、と言うのも興味深いことですから、ちょっと頭の片隅に、「人類学」という言葉を置いておいてくださいね。

で、別のアフリカの国、ボツワナでフィールドワークをやっている若い人類学者の友人が言っていたのは、「最初に村にフィールドワークに入った時、お前は料理も出来ないし、森に食べ物を取りに行くことも知らないし、畑の仕事もできない。何もできないから子どもの面倒くらい見ておきなさい、と言われて、赤ちゃんを、はい、と渡された」ということでした。

つまり、その村では、女はいろいろなことができないとダメ。

私の友人は、ボツワナのその村の女性たちができるようなことは何にもできない。まあ、日本人で突然、アフリカのある村に入っても、できることはあまりないかもしれない。で、何もできないようだから「赤ちゃんの面倒でも見ておきなさい」という。

つまり、「赤ちゃんの面倒、子供の面倒、などというのは、なーんにもできない人でもできること」というふうに思われている、ということなのです。だから、5歳くらいの幼い子どもでも、赤ちゃんの面倒は見られる、と思われている。赤ちゃんの面倒を見たり子どもを育てたりすることは、ちっともたいへんなことだと思われていなくて、「だれでもできること」だと思われている。

それは私が今回行ったコンゴDRCでも、友人が行ったボツワナでもどうやら同じような感じなのでした。私は他のアフリカの国にも行ったことがありますが、そういえばどの国でも、子どもたちが赤ちゃんをおぶっていました。

人類発祥の地、アフリカでは、私たちのように「子育てがたいへん、赤ちゃんを産んで育てるのはものすごくしんどいこと」というふうには、どうやら考えられていないのですね。

もちろん、子どもの権利とか、学校に行って勉強して好きなことをすることが大切とか、子どもの面倒はちゃんと大人が見るべきだ、とか、いろいろなことを言うことも必要ではあります。開発途上国と呼ばれる国で子どもがみんな、幼い子の面倒ばかりみて学校に行けない、という状況がそれでいいと思っているわけではない。

でも、「子どもを育てるなんて、だれでもできることだよ」、「他のことが何にもまだできなくても赤ちゃんの面倒くらいはだれでも見られるんだよ」と言うメッセージは、私にはとても大切なことだと思える。

「たいへんだ、たいへんだ」と思っているとたいへんになる。「だれにでもできるよ」と言っていれば、「だれにでもできる」ようになる。

若いあなたには、赤ちゃんを育てるくらい、本当は、なんなくできますよ、と伝えたいし、そして、周囲に赤ちゃんがいたら、ぜひ、積極的に抱っこさせてもらったり、おんぶさせてもらったり、お世話をさせてもらったりさせてもらえるといいな、と思うし、それって楽しいことで、慣れたらなんでもないこと、と思いながら育ってもらいたいな、としみじみアフリカで考えていたのでした。

 

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