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第14回 母性について

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少女のための性の話_三砂ちづる_ヘッダー画像

「母なるもの」のイメージ

母の性と書いて「ぼせい」、と読みます。英語でマザーフッド(motherhood)、といいます。

母なる性質、母なる思い、母なるふるまい、母なる祈り。いろんな意味がこめられている。母なるものへの憧れ、母なるものへの敬愛、自分という存在をまだ目に見えないときから育んでくれて、この世に送り出してくれて、愛おしんでくれて、自分が自分であることを気づかせてくれて。

世界中の文化には、母なる存在への感謝が満ちており、母なる存在への愛情は、さまざまなかたちであらわされてきました。とてもすてきなことばなのです。ほとんどすべての言語でこの「母性」を表す言葉は、ただ、よき思いに満ちた言葉です。

若いあなたは、この国にあって、日本語で勉強していくことが多いでしょう。これから、よく勉強すればするほど、「母性」というものについて知ることになるでしょう。そして、それはきっと、あまりよい意味で使われないことに気づくと思う。この国では、とても長い間、「母性」という言葉は、あまりよくない、はっきり言って、ちょっとネガティブな意味で使われがちだったのです。

「母性」はおしつけ?

「母性」という言葉を使うことは、女性に「母親」という役割をおしつけてしまうから。母親にもならないし、なりたくない人もいるのに、そんな人たちに「母性」を求めるなんて、その人たちを苦しめるだけだから。何らかの理由があって、お母さんのことを好きでなかったり、お母さんという存在に苦しめられていたり、お母さんに支配されていたりする人たちは「母性」というものに苦しめられているわけだから、「母性」という言い方をすると、またまたさらにその人たちにつらい思いをさせるだけだから。「母性」とうことばを口にすることで、「平等」であるべき男と女を差別して、女にだけ母の役割をおしつけることになるから。だから、「母性」などという言葉は、女性を苦しめるときにしか使われないのだ……、と。

きっと、こんなふうな言い方を、これからのち、あなたたちのうちで、まじめに勉強する人ほど、身につけるようになります。

勉強するのはよいことです。今まで知らなかったことを知ることはよいこと、自分の固定観念を破るようなことを知ることはわくわくすること、そして、世の中に起こっていることをよく理解できるようになり、世界で起こっていることを自分なりの視点でみることができるようになる、ということはよいことです。自分の頭で考え、学び、たくさんの先輩たちが残したことを知ることはよいことです。

でも、これから勉強して、どうも「母性」ってあんまりいい意味じゃないんだな、「母性」という言葉を使うと、女性を苦しめるんだな、というふうなことを勉強したときには、ちょっと待って、と言いたいところがあるのです。

まもってあげたい気持ち

「母性」というのは、別に女性だけにそなわっている、とか、母親になる人にだけ立ち現れるとか、そういうものではない、とも、考えられます。

あなたは小さい子どもや赤ちゃんを見るのが好きでしょうか。あるいは家で飼っている犬や猫やハムスターと仲よくするのが好きでしょうか。

自分より小さくて、やや力がなさそうで、何か助けてあげたいな、何かをやってあげたいな、と思う気持ちが起こってくることがありますよね。あなた自身だって、まだ世の中からみれば「子ども」に入るし、人を十分に世話できるような、そして全て自分の責任で行動できるような大人、とは言えないのかもしれませんが、それでも、あなた自身より、小さい、あるいはあなた自身より、はかなげな、そして、あなたの助けを必要とするような、そういう存在には、なんとも言えない「お世話をしたい」気持ちがわいてくることがあるのではないでしょうか。

私はそんな気持ちを「母性」というのではないか、と思っています。自分のまわりで生きている人(あるいは他の生き物)が、何か自分の助けを必要とするときに、そばによって、抱き上げて、なでなでして、かわいがってあげる、まもってあげる。それをしないではいられないし、しないでいると、何だかつらくなってくる。そういう感情があってこそ、「人類」という生物の種は続いてきたのだと思います。

テレビの動物ドキュメンタリーなどで、自分の危険を顧みず、ヒナを守ろうとする親鳥、とか、猛獣に襲われそうになっている子どもを体当たりで撃退する動物、とか、ああいう行動は、あなたが感じる「弱いものはまもってあげたい」思いと同じものに根ざしているのでしょう。

それこそが「母性」ではないでしょうか。

だれにも「母性」がある?

もちろんそれは、子どもを産んで実際に母になっている女性にだけ立ち現れるものではなくて、あなたのような若い人にも、また、男性にも、湧き起こることがある感情だと思います。「母性」は、母親だけに現れるものではなくて、すべての人間にあらわれることがある性質なのです。

ここまで書いてもうおわかりと思いますが、「母性」は、人間が人間として続いていくことを支える「本能」の一つなのです。この「本能」があるから、人は次の世代を育てられる。

「本能」であるなら、ほうっておいても誰にでも子どもを育てられるくらいは十分にあらわれる性質なのか、と言われると、残念ながらそうではありません。今、私たちが生きていかねばならない「近代的」で「便利」な世界では、そういう「本能」がむしろ、抑え込まれていて、うまく出てこないことも多いのです。最初に書いた「この国では母性のことをよい意味で使わない」ということも、「本能なんて出てこないこともあるのに、だれにでも本能がある、なんて、よくない」ということなんだと思います。

では、「本能としての母性」ってどうすれば十分に出てくるのでしょうか。あなたの「小さいものをいとおしむ気持ち」はどうすれば、将来、次の世代を育てられるほどに、強くなっていくのでしょうか。

母性スイッチが入るとき

実は、心配は、いらないのです。この連載でも順を追って紹介している妊娠とか出産とか授乳とか子育て、など、すべて女性の体に起こることには、「母性」がオンになるスイッチのようなものが隠されているのです。

自然に妊娠したり、自分の力を使ったお産をしたり、おっぱいをあげたり、赤ちゃんのウンチやおしっこに付き合ってあげたりしていると、なんだかわからないけれど、力が湧いてきて、夜あまり眠らなくても赤ちゃんの面倒を見られるようになったり、子どもが可愛くて仕方なくなったりする。どこかで「母性」のスイッチが入り、スイッチが入ると、わりと楽に次世代を育てることができます。

今まで人間は、そうやって次の世代を育ててきたのだと思います。つまり「母性」は女性でなくても母親になった人でなくても、男性でも、立ち現れる可能性がある本能ですが、子どもを産んだ女性は、とりわけ、スイッチがたくさんある状態だから、「母性」が立ち現れやすい、ということなのです。

少しむずかしいことを書いてしまいました。若いあなたには、自分の体を慈しみ、楽しみ、湧き上がってくる感情をただ、今は、いとおしんでいてもらいたい、と思っています。

自分の体を楽しんでいれば、必要になったときには、どんなふうにすれば「母性」のスイッチが入るのか、きっと自然にわかるようなあなたになっていることでしょう。

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